Source: 地震学会ニュースレター Vol.19 No.3 (Sep 10, 2007)地震予知についてなど
上田 誠也
このたびは、図らずも名誉会員に加えていただいて、有難くかつ恐縮しています。地震学会にはほとんど何の貢献もしてこなかったので、まことに図らずものことでした。東大地球物理(旧制)では永田研究室で地球電磁気学、しかもその主流とはいえない岩石磁気学(卒論・学位論文テーマは反転熱残留磁気)を専攻し、学会は地球電磁気学会(現地球電磁気・地球惑星圏学会)でした。その後、地震研助手としては力武研で地球熱学(主テーマは地殻熱流量)、地球物理学科助教授の数年間は竹内研で固体地球一般(新しい地球観?)、再び地震研にもどってからは、地球テクトニクス(プレート論・サブダクション帯論)と言った具合で、地震学会や火山学会、時には海洋学会や地質学会でも、発表を聞いたりしたりするようになりました。力武先生からは「君は主たる所属学会と言うものがない珍しい奴だなあ」と言われたものです。多くの諸君といろいろな研究にかかわりを持ちましたが、実は地震学プロパーの論文は一つもないのです。
日本の地球物理には地震学会・測地学会・地球電磁気学会・火山学会・海洋学会・気象学会・陸水学会などから、もっと規模の小さいものまで、実に多くの学会があります。私は若いときからIUGG あるいはAGUのような統一組織がないことが理解できませんでしたが「各分野にはそれぞれボスがいて、それぞれが自分の学会をつくってきたからさ」といわれたものです。それでは困るのではないかといつも思っていました。「大陸移動説」の盛衰・復活、「海底拡大説」から「プレートテクトニクス」への発展では、思いがけない超分野的発想が機動力であったことが私の想いの根幹だったのでしょう。私個人に関わることでも、さらに新しい学会をつくろうという動きには時々ありました。かつては地球熱学会を作ろう、また最近では地震予知学会を作ろうなどという動きです。確かにそのメリットもあるとは思えますが、長い眼で見ると学問研究の狭隘化を招来するように思い、あまり賛同しませんでした。自然は別に縦割りではないのですから、思いもかけない仕組みに対する“開いた視野”や他分野からの批判が大切なのではないかということです。ここ数年、日本地球惑星科学連合Japan Geoscience Unionが立ち上がり、あるべき姿が浮かび上がってきているようです。志ある有能な皆さんの努力に大きな惜しみない敬意と賛辞をささげます。
「動的地球観革命」前夜にいくらか似ている状況が、「地震予知」にもみられるようです。ここでも多くの基礎的・専門的知見が着々と蓄えられつつあります。しかし、「地震予知、とくに短期予知」に焦点を絞って見ると、研究者の基本的態度には画然たる違いがあるようです。端的に言えば、「短期予知はできない」と言う考えと、「できる」と言う考えです。それは「大陸は動く」と言う考えと「動かない」と言う考え方の違いに匹敵するものではないでしょうか? 事態をあまりに短絡した見方だとのご批判は心得ていますが、多くの点での違いにもかかわらず、研究を進めるうえでこの基本姿勢の違いは大きいのではないでしょうか?
さて、ある新しい考えや仮説に出くわしたときに、「面白い、検証してみよう」という傾向の人と、まるで話にならんとばかり一蹴する人がいます。あるいは否定はしないまでもそんな話に乗るリスクは避ける人やまるで関心を示さない人も居て、千差万別です。それはその人の性格や学問的素養・経験などにもとづく見識や洞察力によるものと思われます。それを私は“思考の許容限界”と呼んでいます。“許容限界”は広ければ広いほどいいというものでもありません。多くの場合、常識(大多数の人々の“思考の許容限界”)を超える仮説は失敗しますが、画期的進展を生んだ仮説の多くが常識を超えるものであったのも事実です。ここが難しいところです。いずれにしても、仮説は検証されねばなりません。
プレートテクトニクスへの道では、いまでこそ当たり前のこととして誰もが疑おうともしない「バイン・マシューズ・モーレー(!)の仮説」などは「非常識な冗談」扱いをされました。しかし、少数の人々はそれらの仮説を“許容”し、驚くべきエネルギーでその「検証」の積み上げに成功したのでした。この場合は、仮説も、その検証も今からみても壮観でした。やれ荒唐無稽だ、まだ証拠不足だなどといっていた保守勢力は、結局、いずれかの段階で改宗するか、お亡くなりになるかでした。勿論、地震予知の場合、話は同日の談ではありません。しかし、鯰が地震を起すとは誰も思いますまいが、動植物の異常行動や「地震雲」が地震の前兆かもしれないなどとなると、議論が分かれるようです。個人の“思考の許容限界”がちがうからでしょう。私個人の“思考の許容限界”からみて科学的テーマとしては受け入れがたいものが多いですが、地震の前兆なるものは、地震を起す原動力ではなく、同じ原動力が生み出す副次的結果であり、それが地震本体よりわずかでも先に起こればいいという立場から言うと、全部を頭から一蹴するべきとも思えません。ただ、これをみな科学研究の対象にするのは容易ではなさそうだと言うところです。現在の地震学界の主流は、これらにたいして圧倒的に否定的のようですが、もう少しは開かれた考えを持ってもいいのではないでしょうか? 現時点で科学的対象として大いに力を入れて取り上げるべきは、地下水位変動、ラドン・ヘリウムなどの放出、また、私の個人的関与からいえば、地電流の異常、来るべき震源域上空での電磁波の伝播異常などでしょう。これらは、現時点でもそれぞれ、すでに研究が進められていますが、地電流などはまだしも電磁波の伝播異常には「地下での地震準備過程が、100kmオーダーの高さの大気・電離圏に異常を起す必要がある」のです。一体そんなことがあるのか? それを確かめるために諸外国では人工衛星からの観測などを始めていますが、日本では進んでいないようです。ここはまさに大方の“思考の許容限界”が問われるところでしょう。仮説は失敗ないし不発に終わるかもしれないし、革命の旗手として残るかもしれませんが、それは私などの見ることのできない先のことなのでしょう。