地震予知ヘの提言
日本学士院 上田誠也
地震予知では短期予知が最重要であるが,それには前兆現象の検知が必要である.現在の予知体制ではそれは不可能として殆ど放棄されている.予知計画の名のもとに,短期予知以外のことに国費を独占的に費消してきたことは改めるべきである.
1.はじめに
地震予知に関連して,地震学会は混乱しているように見える.意見に広い分布があるのは健全だが,各人の立場,研究費状況,利害関係などによって支配されている部分も多いようだ.この際,少時,これらを離れて、問題を素直に考えてみよう.
「人が自分の態度を事前に決められる情報を提供すること」という金森の地震予知の定義(2012)は明快である(ここでは簡潔のために,予知・予測・予報など用語の問題(井出,2012)には触れない).
地震活動の過去例などに基づく確率的長期・中期予知にも都市防災計画などの策定に意味はあろうが,通常の意味での検証は不可能であるし,従来の長期予知は概して否定的結果を示している(Geller, 2011).検証可能であり、一般市民の生命・財産の安心・安全のために最も重要なのは短期予知であろう.
科学的短期予知には前兆現象,あるいは先行現象の取得が必要である(ここでも簡単のため用語は前兆現象としておく).とすれば,そのためになすべきは前兆現象の研究であろう.前兆現象のありかを探るために当時考えられるすべての観測を始めようというBlue Print 1962その出発点だった.
長年にわたって,各国で前兆現象として報告されてきたものの大部分は信ずるに足らないが,中には否定困難なものもある.それらには地震そのものにかかわるものもあるが(静穏化,前震活動など),地震計では測定できない電磁気,地球化学的,あるいは動物異常行動なども多い.これも周知の事実であろう.
2.短期予知研究の歴史・現状と今後の見通し
ではそれらの研究は十分行われてきたのか?その答えは否と言わざるを得まい.地震予知計画は1960年代の発足以来,前兆現象に否定的な地震学者主導のもとで行われ,予算・人員の大部分は終始,地震計測に独占されてきた.おかげで,世界最高の地震観測網ができ,地震学の進歩には多大の貢献を果たしつつあるのは喜ばしいことだが,短期予知は殆ど進歩していない.
この体制は次第に既得権益化し,Blue Print 1962の精神はいまや殆ど失われている.特に兵庫県南部地震以降は,地震予知はその“研究”も諦め,今後は“地震の基礎研究”に集中しようという建前になってしまった.“地震予知”はもはや科学研究の対象ではないということで,殆ど禁句となった.
1999年には予知計画は「地震予知のための新たな観測研究計画」なるものに変容され,現在はその3回目の5ヵ年計画の実施中という.タイトルが巧妙に仕組まれたこの計画は,「観測計画」なのであって予知は名目にすぎないのである.
前兆研究などは科研費でやればいいと言われるが,地震予知は科研費の枠にもなかった.しかし,2009年の地震学会総会では,少なくとも科研費の枠には入れるべきで,排除すべきではないという提案がなされ,激しい反論もあったが、結果としては25年度から地震発生予測・火山噴火予測のキーワードが一応入ることにはなった.一筋の光明か?
Geller(2011)の主張「日本政府は,欠陥手法を用いた確率論的地震動予測も,仮想にすぎない東海地震に基づく不毛な短期的地震予知も,即刻やめるべきだ」「今こそ,地震予知が不可能であることを率直に国民に伝え,東海地震予知体制を廃止して,大震法を撤廃する時である」には筆者も概ね賛成である.しかし,彼の「地震予知は全部やめよ」との見解は認めることはできない.ゲラー自身(2012)も認めているが,地震短期予知が原理的に不可能だという証明はない.のみならず,事実,地震予知学(地震学ではない)ではそれが不可能ではない可能性は高まってきているからである.
例えば,VAN法は開始以来30年,益々成果を上げており,最近ではNatural Timeなる新しい時間概念の導入によって,発震時の予測精度を格段に上げている(S. Uyeda and M. Kamogawa, 2008, 2010).伊豆神津島でのVAN法の電気信号が統計的に有意であったという我々の結果は最近PNAS誌でも特に優れた論文として出版された(Orihara et al., 2012).ULF帯の磁場変動でも地震との関係が統計的に調査され,その有意性が示されている(Hattori et al., 2012).
3.11 地震にも有意な短期予知情報をもたらしたVLF~LF電波の伝播異常の成果(Hayakawa et al., 2012)に基づいて予知情報を広報するシステムが私企業として成立しつつあるのも無視できないだろう(earthquakenet.com/principle.html).
電波伝搬異常では,VHF帯においても兵庫県南部地震以来幾つかの有意の成果が得られている(Moriya et al., 2010, 串田,2012).また,電離層での電子密度の異常変化(Heki, 2011)は大きな関心を集めた.既に諸外国では衛星観測が多数実施・計画中であるが,ようやく我が国でも衛星計画が進展しつつある(Kodama and Oyama, 2011).電磁気的側面以外にも,兵庫県南部地震直前のラドン異常(Yasuoka et al., 2009)などは特筆に値しよう.
これらの試みは有望とはいえ,多くは未解決問題を抱えて実用的予知段階とは程遠い.徹底的な“基礎研究”が喫緊必要なのである.しかし研究費のみならず,実働人員の殆ど無い現状では物事の正否を判断するにたる観測などはいつまでたっても出来ないだろう.若い研究者のための短期予知ポストが全くないのは最大の問題である.
3.地震学会の今後
社会は上述の推移を殆ど知らない.筆者の経験では,地震学会以外のどの集まりでも短期予知の現状の話をすると,聴衆は100%驚く.「地震予知はまだ出来ないが,年額数百億の国費が費消されているのだから,短期予知研究も進められているにちがいない」というのが,高度の学術諸団体を含めての,社会一般の認識なのである.地震学会はまったくの特殊社会といわねばなるまい.
イタリア・L'Aquila地震裁判の結果から,これからは,地震学者は失敗を恐れて発言ができなくなるなどという論調が横行しているが,これはやや的外れであろう.L'Aquilaの場合には地震短期予知不可能論の地震学者たちが「安全宣言」に加担してしまったことが問われているのであって,刑の大小は別として,無責任発言に対するいい戒めだった.科学者として正直でさえあれば,予知情報の広報は堂々と進めて悪いわけはない.
一方,3.11地震を想定外としか言えなかったことを,地震学の敗北などと重く受け止めて反省する地震学会員も多い.それと“予知村的会員”との複雑なしがらみが地震学会の予知問題の混乱の一因にもなっているようだ.ここで,再度それらを離れて考えてみよう.
前兆現象は次第に高まるストレスによって,地震発生準備過程の副産物として,本震前に派生すればよい.それを観測すれば,地震発生のメカニズムそのものが解明されなくとも,「短期予知」は可能である.しかも前兆現象は地震を起す要因でなくても良い.地電流異常が地震を起すなどとは考えられない.
従って短期予知は広義の地震科学(ゲラー, 2012)の一部ではあるべきだが,狭義の地震学の主目的ではあり得ない.だから地震学者が前兆現象に興味を持たないのは当然だし,短期予知ができなかったといって反省する必要は勿論無い.長期予測にしても,過去100年程度の近代的地震観測結果に関する限り,asperity modelなどはほぼうまくいっていたのだから,そう落胆することはない.自然科学は新しい観測事実によるモデルの検証・改良で進むのだ.
地震学会が反省すべきは,地震計測結果以外にあまりにも目を向けなかった点だろう.短期予知での前兆現象無視も,長期予測で津波堆積層の地質学情報などを軽視したのも,同じ通性のあらわれなのだ.これを改めれば地震学会の前途は明るい.もっと深く反省すべきは,前兆現象即ち短期予知研究以外に予知予算を独占的に流用してきた体制を許容し便乗さえしてきた点であろう.例えば強振動研究を予知研究に含めるのは,筆者にとって違和感が大きい.強振動予測は予知研究と無関係に推進すべき重要な研究であり,これこそ地震学が最大級の貢献可能な分野であろう.
4.結論
地震短期予知は多方面の研究者の参加による前兆現象の研究によっては可能なのだからなんとしても達成せねばならない.地震学会が総力を上げて取り組むべき性質のものではないが,そのためには,研究費,人員配分の抜本的改革が必要である.
参考文献
金森博雄, 地震研究堂々と進めよ,毎日新聞、2012、11月 5日)
井出 哲,アスペリティ・連動型・地震予知,地震学会モノグラフ、第一号,14-17, 2012
Robert Geller, Shake-up time for Japanese seismology, Nature 472, 407–409 (28 April 2011)
ロバート・ゲラー,防災対策と地震科学研究のあり方:リセットの時期,地震学会モノグラフ,第一号,5-8, 2012
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T. Kodama, K. -I. Oyama, The ELMOS Small Satellite Constellation, The 28th International Symposium on Space Technology and Science, Okinawa, June 5-12, 2011
Y. Yasuoka, Y. Kawada, H. Nagahama, Y. Omori, T. Ishikawa, S. Tokonami & M. Shinogi, Preseismic changes in atmospheric radon concentration and crustal strain, Phys. Chem. Earth, 34, 431-434, doi:10.1016/j.pce.2008.06.005 (2009)
Source: 地震予知への提言(地震学会モノグラフ第二号)
[Uyeda.html]